一人でやれることをやるための場所としてこのページを作ることにした。
これまで、そしてこれから、生活の中で、いろんな物事を見聞きし、それが面白かったりつまらなかったりしてきた・していくわけだが、それらの感想を記したいという願望が自分にはある。ただし、それらを一意見としてソーシャルに放出するのではなく、あくまでも個人的な感想として書き表すというスタンスを保持したい。実名しかり、実感しかり、実存しかり、実人生には、パーソナルな質感と感覚、それにともなう私的な感性というのが付き物だ。それらを漂白して感想を書くとなると、わざわざ書かなくてもいいとしか思えないことを書いて終わりということにもなりかねない。これまで生きてきた中でも、個人的な鑑賞体験について個人的な感想を言いたいという願望はそれなりに一貫してあった。とすれば、ソーシャルなスペースで「これはあくまでも個人的な意見です」とその都度但し書きをし、その場所の特性に応じた”適切なやり方”で表現するよりは、曲がりなりにも自分のスペースといえるだけの特徴を持ち、「意味が通じるように・できれば誤解も少ないように」という最低限の気遣いだけして、あとは好き放題に書き散らせるような場所で書ければいいなと思っていた。いわば”空き地”を探していた。
真剣に探さなかったせいかもしれないが、それに適した場所は見つからなかった。見つけやすいような場所は、双方向のコミュニケーションを前提に設計されていて、そのおかげで書き手と読み手の生産的なコミュニケーションが生まれることもあるのだろうが、そういったコミュニケーションは自分に必要なものではない。そこで、無ければ自分で作ればいいというDIYの精神で、実世界で物理的にそれを叶えようとすると持ち重りのするコストがかかるのを尻目に、そこはサイバー空間という利点を活かして、ここにこうしてこの場所を作ることにした。
書く内容はほとんどが日記ということになると思う。ただ日記を書くだけのことに、こんなまわりくどい御託を並べないでもと思うが、ひとつには、こうやって場所さえあれば思い立って日記以外の何かを書くことも考えられるし、そういった日記以外の何かを書きたいとふと思ったときに、いちいち断らず、好きに書き始められる場所があると自分自身が了解しているということ自体が、生活において重要なことだと考えているふしが自分にはあるため、スタンスの表明を兼ねて、このスペースの基本要綱としても、ここにこうして書き置いておくことにした。
当然、やりたいことが変化してきた場合には、スタンスはもちろんのこと基本要綱も書きぶりも、サイトの場所さえも変化していくことは考えられる。それでも、「ひとりでやれることをやるための場所」というところは変わりないだろう。
ソーシャルな場所で、それでもいくらかは「自分自身に正直でいよう」としても、どうしても覚えず知らずのうち他者の意に沿おうとする精神にスイッチが入ってしまうということは、誰にもおぼえのあることなのではないか。それに対抗するための方法を各自持っているものだと無責任に信じているが、自分の場合は、この場所で好き勝手に実(じつ)のある感想を書くということがそれにあたる。もちろん、実(み)のある内容になるかどうかは考慮の外にあってわからない。